2014年7月25日金曜日

空転

番犬に喰わせる思想もなく
こじんまりした庭にベンチをもうけて
かたりあう内容は天気のこと、
ぼくらは失う前に失うものを

持っていなかった。

ふとなげかけた明日ということばに
とても薄いガラスがきさらと微かに
くだけてたくさんの世界を映し出してはいるものの
どれもくるりと反転してしっかりと見えない。

そう、見る事ばかりによりかかり、
自分たちのからだのありかを忘れてしまう。


ぼくらは隠喩をなにかのパスワードが

ないと解けないとおもっている。

もしくは、隠喩が何かのパスワードだとおもっている。

きりきざまないとたべられない果実だとおもっている。

まるごとかじるつくことはできないとおもっている。



本来隠喩とは解くものではなく頬張るものだ。


思わせぶりな陳腐な比喩に

裏の意味を見出しなにもでてこない

のぞくなと指示して、のぞくようにできている

シンプルな穴のあいた箱のように

切り裂くナイフの裁断とアナトミーで

かたちをかたちたらしめるプラーナーはちりぢり。


とにかく、この純粋さは

とても壊れやすく、

だからこそ純粋でいられて、

恐れをつくり壁をつくりもして、

純粋でないものになってゆく。



そう、染まることはわるくない、

染まらいことへの心地よい不安が

銀河を回転させる。

そもそもその不安が不安と呼ばれて

感じられて、味わあれているかは

それぞれの小窓から見た景色で

違い、



ぼくらは無意識のうちに

回転している。



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