2014年7月20日日曜日

ケサランパサラン

アスファルトをゆらす陽炎に

アザミの綿毛の種が飛び

風が乳母車の赤子の足指にふれるのは

連続した線的なつながりというより

雨粒が落ちてみずたまりをゆらす

点的な円波動。

埋もれたものを掘り当てる作業にもっともすぐれた

イヌやらブタやら、彫刻家やらで

始めはみんな得体のしれない

触手がかたちをなぞりはじめる。

それはまったくの好奇心からはじまり

自らの身体の発達を覚えるまでの気づき

春の動悸、息切れして果てる

目の前のまばゆい光にも

じきに慣れて、彼女のお腹は帆を張る。



ぼくらはひとつひとつの銀河で

時に不自然な不都合で

わがままにこの身体の危機をむかえるが

これを危機と言うのか宿した方向というかは

より思考をさまして考えることをやめなければならない

という義務や強制もなく

おわりとはじめをうしなうぐらい

ただ眺めることに終始埋没する。



ぼくらによって絶えづ自分は発見される。

はじめからそのかたちやらいろやらがあって

暗がりにも目が慣れてか

全容を掘り当てた気にもなる



この凧のようにあげられて分離したぼくらは

全体から常に離れて舞戻ろうとする

何かしらの引力により、

そして、また重力がない世界へと吸い込まれて

ひつつになる。何かを刻んで何かを忘れて、

ふわふわと空気をゆらす

ケサランパサラン

ケサランパサラン





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