2014年12月2日火曜日

お恵み



ちょいと声かけても
おせっかい

そんな度量のなさが
世知辛い風を吹かして
わがままだけがまかり通り
やさしくされることも
やさしくすることも
ゆるされない

ちょいとした一言が
自己顕示欲やら
それはおまえの流儀やろとか
ののしられ
意外や意外、
きみはきみだけの意識でできてはいないことを
知らぬぞんぜんで周りは迷惑、
そんなのおかまいなしの
銀河にしょん便ってな
物腰が意外や意外
強張って、邪魔するやつを
さがしておいでになる

ネガティヴ喰ってもなんにもならぬ
解消しても、折り目がついて
ぐるぐるまわる
憐憫憐憫、そこはとっても温かい?

おっといけねぇ
こうして仮想敵国は作られる
ひとってやつは自分のなかの恐れをどこかへ
投影して否定して夢見る王国つくるもの

とにかく
自分だけが良ければいいと
自分だけが傷ついたりするもんさ

うるさい文句は
おまえさんへのお恵みさ

2014年11月27日木曜日

あきもせず


ウインカーもつけづに
急に停車するものだから
クラクションいつもよりアツメに鳴らした相手が
となりのおやじなものだから
気まずくってありゃしないなんて
よくあることなんだけれども
そんな時は怒る前に、
怒りに採点をつけてください
なんて指導されようもんなら
怒りの存在意義が
ふたたび油をそそごってなもの
冷まそうと思っても冷ませないのが
恋心と無駄な怒りの雷激で
猫が砂場で用をたせば
あたりはいつだって
鎮まり返ってもいるし
そんな大宇宙に
氣づくってなものだけど、
そんな暁には自分の血管を
流れる血の音さえも大きく聞こえもして
無駄な怒りが段ボールにいれて
クローゼットにいれても転げ落ちてくるもので
刀が迷子の鞘はあきもせず
風に鳴っている

2014年10月14日火曜日

さぞかしこころいそがし

前歯怖くて
おせんべいはセンチメンタルにも

割って食べる派、

だからって、何のデリカシーもなく

床にカスをこぼしてはレンタルな恋心を

持てあます夏はさぞかし心忙しくもなく

誰もいないプールに

空気が少し抜けた浮き輪前のめりで

浮いて、ぼくらはオレンジ色に染まりもし

星星が産卵するコバルトの空まで待てないのは

虫の声

2014年10月9日木曜日

落ちた洗濯物や手袋の所在

暑さとはなんだろうか?
家の床やら壁じゅうが

大理石であればと想うのは
歯痛の時か、ほてって仕方ない身体を

持て余したときか。
蠅の羽根の振動が

ぬるい空気を伝えても
尚そしらぬかおだからか。

とにかく、ぼくの熱を

死なない程度に奪って欲しい。

2014年9月13日土曜日

ガイヤ

あまりにも無頓着で
自分中心でわがままで
いろんなものを引き寄せてみて
喜んでみてはいるものの
それがとんでもない
抱えられないぐらい大きなものを
引き寄せていることはしらない。

エゴでわくわくするものを
引き寄せたとしても
そのとんでもなく大きなものを
引き寄せているのは
少しは気が付いているものの
見て見ぬふりをする。
どこの立ち位置で何を引き寄せるのか?

そのわくわくは
受け入れられることばかりを望んでいるわくわくなのか。
そのわくわくは
すでに大きなものを受け入れているのだろうか?

自分が幸せであることは大前提だとしても、
それが条件付きの幸せであれば
全体の豊かさへはほど遠い。

今までもこれからも
さまざまな発振で
さまざまなものを引き寄せるだろう。
そして、その大きなものがやってくる。
それが破滅へのみちなのか
目覚めへの道なのか。
この大きな身体がこれは
私の身体だと目覚める時に
ぼくら常在菌は
死滅するのか共生するのか
そして、進化するのか

2014年8月23日土曜日

ボクラシナプス

そんなことの方が多いなんて
あたりまえのことだけど、
検索してたとえ情報が流れてきたとしても
それはわかった気になった
サーフィンをしているにすぎない
あのおやじの恋の数やキミの好きな子の脇に
ほくろがあることなど
検索の網の目を充分にとおりすぎてしまう
すがすがしい青空。
この青空をキミは所有できないからこそ
すがすがしいのだ。
脳のシナプスが土にはる根のように
何かをもとめても何にも所有できない。
ただ、遠いイメージの連結を繰り返し
創造するだけだ。

ぼくらシナプス流れる
風に帆をはり腹に動力を孕み
虚空を移動して何かに繋がろうとし
何にもつながらずほろりと
産みだすのだ

2014年8月9日土曜日

夏の匂い

銀行からの帰り道、

お爺ちゃんがお婆ちゃんを自転車の荷台に乗せ、
お婆ちゃんは少女乗りで、
こぎみよく夕暮れの中へ消えていった。...
二人のりは交通ルール違反だと

野暮なことはいいっこなしで、

夏もそろそろ音速で過ぎ去ろうとしている。

 

夏の諸問題といえば

もちろん腋の匂いだろう。

ジャンヌダルクのような女が

「鉛筆の芯の匂い」と形容したがる、その匂いだ。

存在を存在たらしめるあやふやな境界をもちつつ

明確に記憶や副交感、交感神経の門をバタバタ揺らし

刻まれるスパイシーな匂いだ。

ジンを飲み過ぎたりや沈黙でカニを食べ過ぎると

濃度が濃くなりもするという諸説はどうでもよく、

白ワインを飲み過ぎた顛末に

我が脇は微かにブドウのしぼり汁を含んだ

樽の匂いがして、さぞかしかぐわしいと思いきや

人にとっては不快なものだ。

自分の匂いは臭いと認識しつつも

なぜか惹かれる匂いだが、

ひとのその類の匂いは

相手のテリトリーに踏み込んだだけの

危険な香りがするものさ。

それを微かな香りにまで希釈すると

とてもいい香りになるのだと、

まことしやかに語られる話は少年の内奥に刻まれはするものの

大人になるまでひらかれない戸棚の奥にしまわれて

人の足音に時々カタカタ振動してみたりする。

ただ、そんな戸棚の引き戸をあけてしまった

俺に言えるのは、

密室のなかのカメムシは自分の屁で気絶する

そんな素直で自然な振舞いが神々しく想い、

見つけてしまったへその緒が木乃伊になって

過去の自分の顔が想いだせないということだけ。

 

 

2014年8月8日金曜日

流木

「その仕掛けじゃ釣れねぇよぉ」って

親切心とマスター気分で

話しかけてこようものなら

「そうでしょうね」と応えるつもりだけど、

はなっから糸と糸の結び方も知らないし

ひどく固く結ぶことだけが純情だと想いこんでいる

ふしがあるので、その全て悟りきったかのような

受け答えも失礼かと想い、

「初心者なんで」のひとことで

含みを持たせて

そのマスターモードに火をつけるか

「そっきゃ」と自分の世界に引き戻ってくれるかを

あたりさわりない行間で濁そうとする。


「んじゃ、これ使ぇ」と仕掛け一式をさしだそうとするのであれば

「ぼくは釣りになどきたのではありません、

釣りをしている風にしにきたのです」とも大人げなくも言えず、

「いやぁ、どうも」と一旦受け取ってみるものの

「いやぁ、どうだかぁ」と濁りに濁った返しをして、

「ありがとうございます、でも初心者なんで」と

期待をかけられても困るし、そんなに夢中でもないからといった

雰囲気を漂わせ、「けっ、教える甲斐もねぇ」と想わせるのだ。

そして、捨て台詞のように、ぼくは心の中で

「ここの夢が流れてくるのを待っているんで、その時は手づかみでいきます」

ってなことを抜かして、酢昆布でも頬張る。

「頬張る」というのはいささか酢昆布にはふさわしくはないが

口にふくむと言った具合だ。

そんなこんなめんどくせぇシチュエーションになるかもと

リスクヘッヂやら、淡い恋心とかをそんな仮想敵国にもちつつ

視線の圧のかかる左横をちら見すると

苔むした強大な流木だったりするから

積乱雲の静けさととヒグラシの声が身にしみる


2014年8月6日水曜日

柳腰

自分を愛せない人は

他者を愛すことは到底無理だなんて

決め台詞で酔った女が

無口な男を説教するバーカウンターは曇り始め、

おとこは勝手気ままに自分を愛し

勝手気ままに好きな酒をのみ

ありのままじゃない説教女を

柳腰でありのままに無視する。


「誰かのために」という必殺技で、自分の承認材料として

「自分のために」という懐刀を忘れてしまうことに似て、

「わがまま」を推奨するのもほどほどで、

それがほんとうに「自分のためか」どうかは

実のところわからない輩も多し。


たしかに「自分のため」というのは大事だ。

存在そのもの根幹。オートマチックな振舞いは

すべて「自分のため」なんだからね、と

ウインクする気持ち悪い自分に嘔吐まではしない。

それを承知なうえで

「ひとのため」にも生きられる。

だから、「人のため」ということを

嘲笑うものは根幹的に自分を

愛せていないということにも

意外と気づかない。

自分のために生きている奴は

「自分のために」を敢えて口にもださいなだろう?

どこまで不安なのだろうか。

うん、つま先だちの不安も悪くない。
存在というものはこのかたちを確認するように
存在を物や出来事や、空気に打ちつけ
輪郭を音や光でしりたがりもして、
一瞬に明滅するそのかたちの記憶が
もろいものだから不安なあまり
鍛冶屋が金床をうつように
だれだ、どこだ、なんだ、なぜだと
コツコツ打ちつける。




「自分のめに」が多面的に輝く。

自分とはどこまで自分なのか?

マインドで考えるレベルで自分なのか?

髪の毛先から、靴下の糸くずやらほこりやら

砂やらが詰った足の爪の先までが自分なのか?

皮膚と空気が触れ合うところまでが自分なのか、

エーテル、アストラル、メンタール、コーザルやらなんやら

ボディというボディを含めたボディが自分なのか

瓶の中のナッツはどこまでがナッツなのか

ナッツのはいった瓶はナッツなのか

ピスタチオのからはピスタチオなのか

殻がついてピスタチオなのか?

そもそも、自分の境はどこにあるか?

ないのか?自分までピスタチオなのか?

そうでないのか?などなど、

永遠に考えるほどこのダンスには体力が必要で

酔いが一気にまわるものだから

ロックグラスの中にこじんまりと鎮座する

丸氷だった氷をかみ砕いて

チェックと決め込み、

説教女はカウンターにへりくだり、

降伏しつつ、ときおりよだれなど

右腕でふきつつ夜は深まる。





2014年8月2日土曜日

ルール

いつからか自分のルールを作る。
そのルールが自分を縛ってゆくのだ。
縛っていないと流されてしまう小舟のように
錨をおとしてその場に立ち止まろうとする。
しかし、動いているのは舟ではなく
海であり陸地であり空である事に気付いていない。

そもそも「できるできない」という
考え自体も一瞬一瞬を楽にすごす保険のようなものだ。
それ自体は予見知であり設計図であり、
楽に泳ぐ事の出来る水たまり。
それはそれで楽しいこともあろうが、
自らの命が動く術を忘れてしまう。

いつからか作ったルールには
解除スイッチがある。
それを手放せばいいだけのスイッチ。
ルールをもたなければ
ルールは作動しない。
しかし、手放せないように
たくみにすりついている。
手放すにはあらたなルールをつくることだ。
しかも、そのルールに、
いつもそのルールをたたき壊すことができるように
もろくつくるのだ。
もろいということは永遠だ、

そして、ひとり乾杯とつぶやいた

乾杯をいわずに飲むひとり酒。

ありがちな句だ。ありがちすぎて、

だれもこないのに誰かを待つふりしたり

しながらピッチをあげようもんなら、

酔いは加速する。

しゃべる相手もいない。

店のオヤジは常連客と

下の話へと引き込もうとするが

なかなかその常連もその道にはのらない。

いつもの夕暮れがどうでもよくなる頃あいにまで

麻酔をかけられたようにひろがり、

プルーフロックのように敢えてなにかをしてみる気もおきない。




グラスの酒が底をついたときだけ

オヤジは「何かおつくりしやしょうか」と

上機嫌が鉢巻きしてデリケートゾーンの

痒みを抑えつつも小躍りして訊いてくる。

仕方ないこともないが「チェック」と

心でつぶやいてみるも

仕方なく「同じやつ」といってしまうほどの、

使い古されたパブロフな日々の縛り。

ピッチングフォームは型がなかなか収まることなく

中学で野球も引退するも、波の上の板には上手に乗れず、

欲望に扱われ慣れた陰謀論的な愛の手には

心地よく乗れる。




手元が狂い、醤油やソースの雫が

カウンターにちょいとこぼれようもんなら

おしぼりの角でさっと吹き汚れた角を下手に隠しては

チェックの瞬間を伺うが、

まだ、おやじの下ネタは着地点を見ず、

むだに熱くなり、

そして、ひとり乾杯とつぶやいた。























2014年8月1日金曜日

undone

夏になるとヤマウチ先輩を想いだす。

20代の夏、ぼくはニヒルが極まっていた。
それでもって、めちゃくちゃ人を責めたし、
自分も責めたし、プール1杯ぶんのビールを
1年間で飲む勢いだったし(飲めないけど)、
最終的に誰とも話さなくなりひどい虫歯にもなった。

その時の自分が今の自分をみたら、
さらに少しがっかりするかもしれない。
夢は密かに大きかったのかもしれないから。
けど、好きにはなってくれると想う。
まあ、その夏はとにかく自分を責めていた。

ところで、
あるがままって、
自分を責め続けない事だと最近想う。
自分を責めることと
自分のいいじゃんと想うこともちゃんと認めることは、
結構、これ同じベクトルのうえにある。
じゃあ、心地よい波にのったほうがいい。

そんなデスぺラードなコニシくんに
ヤマウチ先輩が見かねて、
「学校といえども社会だから、
不快なやつはだれからも愛されない。
コニシくんやばいよ。今の状態。」って言ったんだ。
このことばでコニシくんに社会性が少し芽生えた。
愛されたいがあまり、自分を投げ捨てて
かまってちゃんになっていたわけだ。
ありがたや、ヤマウチ先輩。

わがままなひとほど
自分で立つことを忘れるし、
人に答を求め、それを鵜呑みにするし、
愛されたいと人一倍に思っている、そして、
自分を責めもするが、
ダメだと勝手に決めた自分を正当化するし、
自分を違う何者かに巧妙にすりかえる。
わがままなひとほど
わがままであることにきづかない。
決してそんなのあるがままでも素直でもない。
だけど、20代の自分に
御苦労さん、
そして、サンキューといってあげたい。







2014年7月30日水曜日

シナモンコーヒー

とにかく、それはカプチーノとかではなく、
堅いアニスを含むクッキーと
つけた傷の忘れかたを日常の空気に
溶かし込んでもなお、
傷跡をゆびでさぐり
そのかすかな起伏をさすり
想いにしようとし
やや軋む木枠の窓をあければ、
立て掛けられた箒の傍らで
横にたおれたままの手押し車のハンドルに
蔓をまきつかせ
昼顔の花が咲いている庭が見える
その裏口の出口にもなる入り口のエントランスには
扉を多少邪魔する程度の無造作に茂る
ローズマリーが歩くふくらはぎにさわる。
砂糖の代わりの追憶もさほど
コーヒーに苦さを加えるものではく
時はいろいろきざみもするが
いろいろふさぎもすることを
雄弁というほどでもない静けさで
時折、語りもして
椅子の上で風呂敷が
何かを隠したかったのか
ただほおりなげられたのかわからず
自然なひだをやわらかくつくり
このかたちの臆をほどくと
ひろがる宇宙にとまどいもするのだろうという
めんどくささと、することになっている決心が
一秒一秒の家財一式森羅万象に
届かない恋文を書いたりもする。


2014年7月29日火曜日

スロウテキーラ

これは何度となく書き続ける


テーマではないことは


じゅうじゅう承知のすけ。


だがしかし、こいつは常に忘れられる。


だから、声せいいっぱいに


覚えとけ~。


思い出の酒にレモン汁が


はいっていないのは青春を


単なる殺風景な写真をあしらう額縁にするつもりか?


きうりがないのはまだしも、


あの酸っぱさがすっぱさがないのは、


単なる荒野でしかない。



そう、夏と言えば、


スローテキーラ。
甘酸っぱくも青々とグラスにささるキウリが
アクセントになる定番中の定番(のはず)。
モヒートがはやっている昨今、
スローテキーラの時代はいまだコズ。


きのう久々に畏敬ではなく
異型のスローテキーラにご対面。


スローテキラーに
キウリが入っていないbarが意外と多く
キウリが入っていないことに
慣れてしまってはいるので、
昨日はちゃんとはいっていて嬉しかった。が、
だが、しかし、このカクテルを
ビルド(ただ順番にグラスに注ぐ)でつくり
レモンジュースが入っていなかった。
*通常はシェイクでつくるもの。


テンダーはとても優秀で素敵な方。


カクテルは美味い。
この条件で色々考えた。


① うっかり
② ○BA最新式、或いはオレ流なスローテキーラ
③ 混んでいたので、まさかのショートカット。
  或いは、ぼくが少し酔ったように見えてなめられた
④ スローテキーラが昭和的で平成JUMP的ではないから。
⑤ スローテキーラが阿佐ヶ谷スタンダードでもはや幻想。
⑥ 流星のきらめき、天かける天馬のいななき
⑦ 人生疲れていてなかばやけくそ的な
⑧ ありのままの自分になるのよ的なありのままのスローテキーラになるのよ


帰り際、サブバーテンダーの人に、
「スローテキーラのレシピって、」と訊こうと
「つかぬことをお伺いしますが、」といったところで
やめた。


すべてのこだわりがあほらしくなって、
なんだかそれはそれでよいかなぁ、そいうことも
邂逅だなぁとか、ぼくの夏は高校野球予選球児とともに
もはや梅雨明け大暑の前日に終わりかけた。

2014年7月28日月曜日

トイレの灯りはきれたまま

歯ブラシのささった
ホーローのマグカップでコーヒーを飲むまでは
まだいいとして、タンカレーのずんぐりボトルを
冷凍庫からとりだして唇につくから
ラッパ飲みできないといって
ちびりちびりとそのホーローのマグカップで
飲むような老天使の夜は深まる。

部屋の天井の四つ角に主なき
蜘蛛の巣はすっかりほこりをかぶり
ここがまったく天国なのかと
疑いだけが影を落とし
なにも見ようとしないのは
なにも自分を正当化しあうもの同士の
充血した目の道筋でもなく

その警告のようなメッセージは
そうなるようにほくそ笑んで
愛が無いのが愛のような振りをして
愛を語り誰も愛そうとしない。

それは天井の四つ角から見た
アングルで、
この愛の振動にかたちになっている
我想う事無くなかなか明けない夜にぶらさがり
チェストの引き出しのすみで
太陽を探しでしている

2014年7月26日土曜日

風に弔う

留守電にコメントを残す時、

緊張して必ず噛んでしまう。

一発勝負のだいごみ。

ピーとなるまでに気持ちを整えるあまり

逆に胸は急上昇に高鳴る。

公衆のトイレにはいって

ノックされた時の行き詰った感にも似て、

電話を切ってもう一度かけなおして

録音の挑もうなどとも想いもするが、

それもめんどうだ、えいっとふんぎって

ピー音とともに第一声が裏返りもしつつ、

裏返った裏返った裏返ったぁ・・・と言う思いが

しゃべる思考と段違いも段違いの平行棒にもなるが、

それにもめげず、

さらに制限時間無制限でもあるわけもないのに

余計な挨拶までいれて時間切れになる。

気がついてみれば、

見ず知らずのご自宅の電話だったりして、

そこから始まるストーリーはない。



結局のところ、窓という窓を開けて、

明日という方角から心地よい風を招き入れ

風通しをよくするといことで

どうでもいいたぐいの

挫折にも至らない日々のしこりを

ほぐしにほぐし風に弔うだけ。



ただ言えるのは

残高少ない通帳の印字がやけに濃く

昨日停めた駐車場の領収証の印字がやけに薄く

濃淡はっきりた夕空をバックに

10円玉を後ろポケットから落とし

それが500円玉ではないこともはっきりわかるような

いずれわびしさ押し寄せやりきれないほどでもない空気感を

演出するには充分ではあるものの

空気感とはなんぞやという疑問に立ち返ると

ダイソン&メイソンに一掃されてしまう

うたかたもうたかた。





2014年7月25日金曜日

空転

番犬に喰わせる思想もなく
こじんまりした庭にベンチをもうけて
かたりあう内容は天気のこと、
ぼくらは失う前に失うものを

持っていなかった。

ふとなげかけた明日ということばに
とても薄いガラスがきさらと微かに
くだけてたくさんの世界を映し出してはいるものの
どれもくるりと反転してしっかりと見えない。

そう、見る事ばかりによりかかり、
自分たちのからだのありかを忘れてしまう。


ぼくらは隠喩をなにかのパスワードが

ないと解けないとおもっている。

もしくは、隠喩が何かのパスワードだとおもっている。

きりきざまないとたべられない果実だとおもっている。

まるごとかじるつくことはできないとおもっている。



本来隠喩とは解くものではなく頬張るものだ。


思わせぶりな陳腐な比喩に

裏の意味を見出しなにもでてこない

のぞくなと指示して、のぞくようにできている

シンプルな穴のあいた箱のように

切り裂くナイフの裁断とアナトミーで

かたちをかたちたらしめるプラーナーはちりぢり。


とにかく、この純粋さは

とても壊れやすく、

だからこそ純粋でいられて、

恐れをつくり壁をつくりもして、

純粋でないものになってゆく。



そう、染まることはわるくない、

染まらいことへの心地よい不安が

銀河を回転させる。

そもそもその不安が不安と呼ばれて

感じられて、味わあれているかは

それぞれの小窓から見た景色で

違い、



ぼくらは無意識のうちに

回転している。



2014年7月24日木曜日

たまごのピクルスやら、ウイスキーやら、熟した桃やら

たまごのピクルスをたべたことがある?

なんて訊かれたら

ないから驚いて見せるけど

その存在を知っていれば

驚くことにも演技が必要になる。


そもそも、驚くことなのかそうでないのかは

たまごのピクルスにまつわる

共有意識の有無だったり

興味の濃度だったり、

漬物とタンパク質代表選手の

立ち位置の差の認識だったりするかもしれない

が、そんなことどうでもよいと一昨日の引き出しに

未来への手紙をそっとしまう。

それはすでにたまご好きやピクルス好きの

魅力的話題づくりでもなく、

最後の晩餐から程遠い支流から離れた

取り残された池のような日々の泡。


そう、このたまごのピクルス、

メーカーズマークによく合うなぞ言われて

その相性で食べたいとは思わない自分がいる。

けれども、意外とバーボン好きのなかには

ステーキと一緒にバーボンのんだりする

ことを当たり前だとおもっている人もいて

その相性というより、その相性を好む人に

窓をあけて決して帰らない鳩を離すのだ。


さて、こちらはといえば

スコッチばかりを飲んで、生まれた国を忘れたかのように

バーボンはすっかり飲まなくなった。

それはそれを飲むと20代の自分を思い出すからか?

グランダッドを逆立ちして飲んだり

することもなかったが、逆流する事たびたび

よなよな10キロをふらふら千鳥足であるけるほどの

ガソリンにしかならない。

酒を飲んでいるのにすっかり知識を

飲むことになった輩になれば

後ろ手にしめる帰り際のバーの扉には

「後悔」ではなく「リグレット」、

もしくは「自己憐憫」と書いている。


よそよそしく感じる封を切ったばかりのスコッチにも

想い出は重なっている。樽で微かに揺れていた10年間に

自分がそいつの知らない場所で誰かに殴られ

誰かに接吻した記憶以外の忘れてしまった開けることのない

記憶がつまってはいるが思いだせない。

それはすでに処分された昔乗っていた自転車の鍵が

ひきだしのなかに

無数にある開けるためのカギだったものたちの中で

気に留められることを待たないでいるのに似ている。


barにふらりとはいることなく,満を持して

乗り込みスコッチだけで飲み倒して

気がつけばむだに富士そばで朝のそばをすする。

そもそも飲み倒すだけで

ウイスキーとの相性なんて考えない。

アテは「おれ自身」だというスタンス。

暖流にのってたまたま冷たいうみにやってくるクマノミのように

女性客が来ようものなら、意識して

意識したあげく、無意味に無口な男を装い

頭の中はむだにおしゃべりなオカマ芸者となる。

そもそもスコッチと食の相性など興味がない、

といいつつ、話のネタふりをされれば

その無口は雄弁に語りだす。

ボーモアと岩牡蠣の相性ほど鼻につくものはないけど

それはスコッチの鼻筋というやつか、とか、

ラフロイグの湯割りにつぶ胡椒をいれて

焚火にあたるというのは悪くない、とか

マッカランの10年のカスクストレングスリッター瓶と

フレッシュな熟したおんなのような桃との相性だとか

むだに自意識がスパークしつつ

アードベッグはやっぱりスモークしたたまごをたべながら

口蓋に黄身がくっついてなかなかはなれないなどといって、

たまごループをしてしまわないように

たまごのピクルスの話題はそっと

小さな胸にとどめて話さない。







2014年7月23日水曜日

do

n't be afraid.

って否定かよ!
「勇気をだしてみようとか
すでに持っている!とかじゃなく?」って
そんな甘い言葉期待しない。
そうbeということは期待しない
優れたありかただ。
湧き出てしまうこのたぐいの感情は
手ぬぐいふきとるわけもいかず、
源泉かけながすしかない。


ってなことをおもっていれば
安心安全、虎の均整。


否定される事に抵抗があると
それが歯石のようにほんとうに
石になったりして
たいへん。
そんなたいへんはたいへん
有難いと想えなどと
説教を喰らうとか
かんがえちゃいけないとか
ますます、
ややこしく我が身を愛する柔軟さは
現実とおもわれる
目の前のフォログラムを
重く硬化させることに比例する。



否定も肯定も
とりあえずいれたDMなみに
なにげない無意識で微妙培われた
言葉の選択。そこを商売にしようなどと
思いもせぬのだが、

焼酎をロックで飲みつづけると
レモンの月やキウリの千切りなどを投入して
軽く水槽のようになってしまって、
「弱気」とおもいつつ水割りにして
美味いか美味くないかは別に
惰性で飲み続ける九州男児
でもない俺様がそう想った瞬間、
九州男児の悲哀を踏みにじりもして
世界はいつも通り「まあるい」と
いうことにしている自分を慰める。



それじゃいかんとだれかの声を
肴にするまで。





2014年7月21日月曜日

救世主、ネガティヴへの執着

ネガティヴである自分を認めたら、
それは素晴らしい解放になっている。
でも、
そのままでいい?
そう、そのままじゃわがまま。
なんで?
そのネガティヴは あなただけのものではないから。
渦を巻いてみんなを引き落とし
きずなめあい、
ないきずをつくり
なめあう。

自然の流れは進化。

肯定も否定も実はどうだっていい。
けど、そのグルーヴってやつに
馬鹿ぽくものれるかどうか。

乗れない奴は
俺がなめてやる
そのきずとやらを、

お前がなめる前に。